
今日の助っ人列伝は横浜、中日で大暴れしたタイロン・ウッズです。

まーた昔の武闘派助っ人っすか?もう先輩の好みじゃないすか・・・。

いやいや確かに色んな意味で大暴れした助っ人だけど、ちゃんと野球の方でも大暴れした凄い選手だから!
タイロン・ウッズと聞いて、まず思い出すのが「あの退場劇」という人もいるかもしれません。
ヤクルトの藤井秀悟投手へ右フックを繰り出しKOしてしまったあの一件です。ただ、ウッズをその一場面だけで語ってしまうのはもったいない!
横浜で40本、45本。
中日移籍後も38本、47本、35本。
しかも2006年には47本塁打、144打点で、落合中日のリーグ優勝を支えた“本当に打つ4番”でした。
今回は、そんなタイロン・ウッズについて振り返ります。
タイロン・ウッズのプロフィール
タイロン・ウッズは、米フロリダ州出身の右投右打の長距離砲です。
NPBでは横浜ベイスターズと中日ドラゴンズでプレーし、主に一塁手として起用されました。
来日前には韓国プロ野球でも活躍しており、日本では2003年に横浜へ加入。そこから2008年までの6年間で、通算240本塁打を放っています。
まず、NPBでの年度別成績を見てみましょう。
| 年度 | 所属 | 試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | OPS |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 横浜 | 136 | .273 | 40 | 87 | .921 |
| 2004 | 横浜 | 130 | .298 | 45 | 103 | 1.007 |
| 2005 | 中日 | 135 | .306 | 38 | 103 | .963 |
| 2006 | 中日 | 144 | .310 | 47 | 144 | 1.037 |
| 2007 | 中日 | 139 | .270 | 35 | 102 | .948 |
| 2008 | 中日 | 140 | .276 | 35 | 77 | .904 |
| 通算 | 6年 | 824 | .289 | 240 | 616 | .964 |
もう凄いの一言で良いんじゃないですかね。ちなみに赤字で書いてある数字はリーグ1位(つまりタイトル)を取った年になります。
横浜に突如現れた40発の怪力助っ人
ウッズがNPBに来たのは2003年。最初に所属したのは横浜ベイスターズでした。
来日1年目から136試合に出場し、40本塁打、87打点。いきなり本塁打王を獲得するインパクト抜群のスタートで、翌2004年も、130試合で45本塁打、103打点。2年連続で40本塁打を超え、横浜打線の中心として存在感を放ちます。
当時の横浜は、チームとしては苦しいシーズンが続いていました。その中でウッズは、数少ない分かりやすい希望でした。打席に立てば、一振りで試合の空気を変える。まさに「苦しいチームの中で希望を与えてくれる助っ人」だったと言えます。
中日移籍、落合ドラゴンズに足りなかった“長打の答え”
ただ、それだけの希望を見せれば当然契約条件も跳ね上がります。横浜との交渉は難航し、2005年ウッズは中日ドラゴンズへ移籍します。
中日は前年、落合博満監督のもとでリーグ優勝を果たしていました。投手力、守備力、勝負どころの強さ。そうしたイメージが強いチームです。ただ、優勝を狙い続けるうえで、やはり欲しかったのが長打力でした。
落合竜は「試合を一振りで動かす4番」を担う選手としてウッズに白羽の矢を立てたのです。
2005年5月5日、藤井秀悟との退場劇
そんなこんなで移籍した2005年。二年連続本塁打王への警戒は当然の如く高まり、厳しい内角攻めを受ける場面も増えていきます。そして運命の日⋯5月5日の退場劇が起きてしまいます。
舞台はナゴヤドーム。中日対ヤクルト戦。
5回裏、ヤクルト先発の藤井秀悟投手の内角球をきっかけに、ウッズが激高。マウンドへ向かっていき、藤井に対する暴行で退場処分となりました。

その後、ウッズには厳しい罰則(10試合の出場停止と制裁金50万円)が科されました。
当時の映像は検索すれば今でも簡単に出てくるほど有名になりました。興味があれば検索してみて下さい。(例によって著作権云々が怖いんで載せません)
事件の背景にあった内角攻めとウッズの苛立ち
この一件を振り返るうえで、先ほども触れた当時のウッズが厳しい内角攻めを受けていたことが背景として語られます。約1ヶ月前の4月、開幕直後に左手小指を死球で負傷しています。
ウッズは右打者にとってバットの軌道を安定させる重要な左手が万全ではない状態で試合に出場し続けていたようです。もちろん、それが暴力行為を正当化するわけではありません。ただ、当時のウッズが強い警戒を受けながらプレーしていたことは、あの退場劇を単なる「突然の激高」とだけ片づけないための背景にはなります。
既にウッズの導火線は残り僅かといったところだったのかもしれません。
そんな中でのブラッシュボール、その直後の反応がどう見えたのか、どこで感情が爆発したのかは、本人たちにしか分からない部分もあります。ここでは、藤井本人が後年振り返っている動画も参考として置いておきます。
ウッズと藤井秀悟のその後
なお、2008年に藤井秀悟はブログで「話してみるとナイスガイ」とウッズとのツーショットを載せ、和解を報告しています。

それでも2005年に38本103打点を残した“本当に打つ4番”
さてそんな重い退場劇があり、10試合の出場停止がありながら、2005年の最終成績はこうでした。
135試合、打率.306、38本塁打、103打点。
普通に、めちゃくちゃ打っています。「事件を起こした助っ人」という一言で片づけるには、あまりにも成績が凄い。しかも、中日移籍1年目。環境も変わって、リーグは同じでも本拠地も打線の形も変わっています。
それでも打率3割、38本、100打点超え。
相手から見れば、いろいろな意味で本当に怖い4番だったのではないでしょうか。
その後も2006年には144試合に出場し打率.310、47本塁打、144打点。本塁打王と打点王を獲得し、中日のリーグ優勝に大きく貢献。
2007年も中日の中軸として139試合で35本塁打、102打点。リーグ2位からクライマックスシリーズを勝ち上がり日本一になっています。
右フックの印象と、バットで残した本当の脅威

最初は“怖い人”ってイメージしかなかったすけど、数字でみると凄いっすね。

そうだね。事件のインパクトも大きかったけど、やっぱりあの打撃は助っ人って感じがしたね。

助っ人感って、オフの獲得報道がピークだと思ってましたけど、昔の選手を掘るとイメージ変わるっすね。まさにTHE・助っ人って感じっす。
タイロン・ウッズは、たしかに“お騒がせ助っ人”として語れる場面を持っています。
今回のタイトルも「脅威の右フック」と2005年の退場劇を意識したものにしていますし、あの出来事は重く、軽く扱うべきものではありません。
でも、そこで話を止めてしまうと、ウッズという選手の全体像は見えてきません。
横浜では、苦しいチームの中で本塁打を量産し、中日では優勝を狙うチームの4番として結果を残しました。
右フックのインパクトは強烈。
でも、ウッズが本当に恐れられた理由は、バットで試合を壊せる4番だったからではないでしょうか。
何年も続けて、相手投手に圧をかけ続けたこと。
そこにこそ、ウッズの本当の怖さがあったのだと思います。


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